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​多羅菩薩の物語

多羅菩薩
十一面千手千眼観音

織田信長公賜

多羅菩薩・多羅観音

​緑度母 勝念寺蔵

十一面千手千眼観世音菩薩

​勝念寺蔵

あるとき阿弥陀様が極楽浄土からこの世をご覧になり、すべての生き物が苦しみながら生きていることを哀れに思い、その慈悲の御心から、慈悲の化身である観音菩薩が生まれました。

観音様はこの世へ降り立ち、迷いと苦しみに沈む衆生を、智慧と真理の世界、心の平安へと教え導かれました。観音様は休むことなく活動し、無数の衆生を救済されました。しかしいくら救っても、すぐにそれ以上の生き物が生まれてきて苦しみの声を上げるため、観音様はとても全ての衆生を救うことはできないと絶望し、ついに観音様の体は、慈悲と絶望の板挟みによって粉々に砕け散りました。

それをご覧になった阿弥陀様は、観音様に大きな力を授けました。
観音様に阿弥陀様の顔を加えた、十一の顔と、千本の手、そして手には全てを見通す目が生まれました。観音様は十一面千手千眼観世音菩薩として生まれ変わられました。

しかしこの体をもってしても、すべての生き物を救うことは出来ませんでした。あまりに生き物が多く、あまりにもその迷いが深かったからです。観音様は悲しみのあまり泣き声をあげて涙を流しました。その右目の水晶の涙から白ターラー菩薩が生まれ、左目の水晶の涙から緑ターラー菩薩が生まれました。

そして両ターラー菩薩は観音様を助けて衆生済度の活動をはじめました。
 
それで、どんな取るに足らない生き物でも観音様や多羅菩薩の眼にとまらなかったり、その慈悲にあずかれないものは一つとしてないのです。
       
        「チベットの民話」より
白多羅菩薩
緑多羅菩薩

白多羅菩薩

​勝念寺蔵

緑多羅菩薩

​勝念寺蔵

 『 度 母 源 流 』
 
鼓音王如来が在りし時、古代インドの那措沃(採光)王国では一人の王女が誕生しました。王女の名前はイエシダウァ(慧月)と云いました。

彼女は天女のごとき美しさ、文殊菩薩のごとき賢さ、多くの美徳を持ち、世の中のすべての者に慈悲を注ぐ女性でした。
彼女は善行による徳を積み、敬虔に鼓音王如来の教えを信奉しました。
 
彼女は数多くの僧侶と共にあっても、その智慧は宝物のように輝き優れていたため鼓音王如来は正法甘露の教えを授けました。
千万億年の修業により、イエシダウァは特別な慈悲の境地を得ました。

ところで、僧侶たちは彼女に、修業のため男性の身に変わることを説得しましたが、王女イエシダウァはそれを断りました。
彼女は「世の中では多く人が菩提心を持つようになったが、女性の身として衆生を救済する者はまだ存在しない。」

そのため彼女は女性の善良と優しい本質とを持ったまま、金剛のごとき固い誓いによる利他の行いで衆生を済度する誓いを立てました。

これにより「度母」と称されるようになりました。

また、千万億万の修業を通じて、イエシダウァはようやく成果を得ました。

その後、彼女はまた十方の衆生を済度し、苦しみから抜度することを発願し、昼夜を問わず何千億の悪魔と非人を屈服させたため「救度速勇母」とも呼ばれました。
 
  「東アジア仏教における多羅信仰の展開」索南卓瑪 著 より
 
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