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由  緒

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京都市駒札

勝念寺由緒書

勝念寺由緒書 文政六年(1823)


当寺第十四世諦譽義禅の著したもの

安養山 往生院 勝念寺と号する浄土宗知恩院末の寺院です。  

織田信長公が深く帰依した聖譽貞安上人によって天正十五年(1587)に開創されました。

勝念寺の開創については元禄九年(1696)に浄土宗寺院の沿革を収録した蓮門精舎舊詞に詳しく書かれています。

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天正十年本能寺の変で信長は本能寺で、嫡男信忠は御池御所(烏丸二条)で自刃しました。正親町天皇の勅命により、信長、信忠父子の菩提を弔うため、聖譽貞安上人に信忠自刃の地である御池御所を賜り、信忠の法名に因んで大雲院という寺院を開創しました。

 

同時に、時の天下人豊臣秀吉公の城下町である此処伏見丹波橋に布教の拠点とするべく一寺を開創し、勝念寺と号しました。

 

その後、聖譽貞安弟子第二世安譽貞保上人、安譽弟子第三世養譽貞弁上人と次第し現住で第二十四世になります。

今まで思い込みで「時の天下人豊臣秀吉公の城下町伏見丹波橋に一寺を開創して勝念寺と号した」と書いてきましたが、勝念寺開創の天正15年(1587)は伏見城はおろかその前身たる指月城も出来ていません。
指月城は文禄3年(1594)、伏見城は慶長2年(1597)に出来ています。
当時、秀吉の拠点は大坂城です。天正15年には京に聚楽第を建てました。


伏見は秀吉が築いた伏見城を中心に大名が多く屋敷を構え、現町名にも多く名残を留めます。
しかし伏見に大名屋敷が建ち並ぶのは天正15年よりずっと後です。

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開山貞安上人は信長・秀吉・家康とも直に話が出来、元和元年には二条城で家康と謁見しています。
また大名とも親交が深く、伏見で亡くなった佐土原島津藩初代藩主の島津以久の葬儀も行っています。

 

開山貞安上人は京に大寺院大雲院を開創しながら何故、当時まだ片田舎であろう伏見に勝念寺を建てたのでしょうか。
伏見が発展する何らかの情報が貞安上人にあったのでしょうか。

勝念寺の開創について

​「焔魔法王尊像縁起」より

織田信長公明智日向守為に薨去なりしその地を貞安へたまわり堂宇を建立して大雲院と号す室町御池の御殿也
今京極四条移ス則住職したまひ西光寺は安誉に住持せしめ給ふ
當今正親町院奉勅詔禁裏におゐて説法あまたゝひなり堂上堂下歸依したまひて衆生濟度の利益も廣かりける
其後天正十五年當寺(勝念寺)を建立して隱室として慶長廿年まて住持したまひける同とし五月十六日東照神君の招請により二条の御城内におゐて拜謁法談したまふ
五月末つかたより病の床につきたまひしか心地例ならす終焉程あるましとて安誉を招たまひ遺言等申置たまひ形見にとて直筆の法名を安誉に授与したまひそのうへ予は江刕に西光寺佐州に大安寺洛に大雲院を開基せしめぬれは此寺(勝念寺)は汝開山となりて衆生済度すへしとて授与し給ふにより安誉有かたく領承して當寺へ移住したまひける
終に七月十七日臨終の期ちかつきぬとて称名念佛をはけまし目出度徃生の本意を遂たまひけり

安永七年(1779)火災により本堂・庫裏と共に本尊・過去帳並びに貴重な文物も多く焼失してしまいました。

 

しかし山門・地蔵堂は離れていたために、幸い難を逃れ、織田信長公より賜った釜敷地蔵尊、閻魔法王像自作霊像、他仏像や書物も今日に残り、焼失前の歴代住職の名も紙片に残されていました。

 

因みに地蔵堂は土蔵造り二階建てとなっており、織田信長公より賜った貴重な仏像などを保管する宝物庫となっていました。

 

地蔵堂は、文禄四年(1595)創立と記されています。

 

伏見城が被災した慶長大地震を一年後に経験している筈ですが、建て直されたのか、修繕したのか不明です。

地蔵堂
勝念寺本堂

 

安永7年(1778)に火災により本堂庫裏・本尊過去帳消失の後、42年後に勝念寺に入寺した第十四世 一蓮社諦譽上人隆阿佛童義禅和尚は、在任僅か十年の間に勝念寺の由緒を調べ上げ、織田信長公より賜った閻魔法王自作霊像の縁起を書き記し、勝念寺が一般の人に知られる基礎を創られました。

 

そして文政年間に諦譽義禅上人の師僧 京都二条専念寺第十七世 常恭敬院殿順阿隆圓大和尚より身代釜敷地蔵尊及び閻魔法王自作霊像のお札の版木を贈られ、以来この二像のお札が多くの人々に配られ、広く身代釜敷地蔵尊の信仰を弘められ、一般の方の勝念寺へのお詣りが増えました。

 

安永九年(1781)に本堂庫裏が再建されましたが、老朽化のため昭和53年に檀信徒の寄付により現本堂が再建されました。

 

第二次大戦後、身代釜敷地蔵尊のこと等も忘れられ、一般の方のお詣りも途絶えていました。

 

しかし近年、境内も整備され、勝念寺のことを多くのお方に知って頂くために、ホームページ・ブログを公開し、「身代釜敷地蔵尊」「閻魔法王自作霊像」「身代り蛙」「萩振る舞い」などによって、勝念寺を訪れる方が増えてきました。

 

 

     京都 伏見 勝念寺 かましきさん 公式ブログ

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勝念寺の別名

 「かましきさん」「かえる寺」「萩の寺」

 「えんまさんの寺」

 

 

また、「かましきさん」として

「通称寺の会」にも属しています。

 

  

   通称寺の会 公式ホームページ

 

 

 

 

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